完璧さを求める仕事への姿勢

日本の歌手であり俳優の杉良太郎さんは、1965年に歌手デビューをしましたがなかなか評価がされず大変な下積み生活を送ります。
翌年には俳優として現代劇で活躍する一方でNHKの時代劇に出演したことをきっかけに時代劇のメインの出演を行います。

多くの時代劇に出演をしてシリアスなキャラクターからコミカルなキャラクターまでいろんな役を演じることになります。
また舞台などで活躍して明治座や新歌舞伎座に出演することになります。

常日頃から完璧を目指すため自分自身だけでなく共演者やスタッフに対して、芸歴や年齢に関係なく厳しい姿勢で挑むため、共演する人たちとの軋轢が週刊誌の記事になります。
長年出演していた演劇は、自分自身の体力面の限界から2005年の7月の新歌舞伎座の公演を最後に勇退することになります。

その後杉良太郎演劇塾を設立して多くの芸能人を対象に稽古の指導をする毎日を送ります。
芸能活動を熱心に行っている傍らで慈善活動となるボランティア活動を15歳から始めています。

杉良太郎が行った慈善活動

杉良太郎さんは15歳からボランティア活動を始めて現在に至ります。
ボランティア活動では刑務所の慰問活動を積極的に行い矯正活動への多大な貢献が評価されて法務省から初めての名誉矯正監を拝命することになります。

その間にも刑務所視察の功績が認められて2008年には特別矯正監も法務大臣から任命されます。
長く刑務官や受刑者に対し多くの意見交換や講演を積極的に行っております。

日本とベトナム社会主義共和国との親善活動に20年間携わっております。
ハノイ市等には、教育施設となる日本学校等を建設し無償援助に積極的に関わります。
この功績によりベトナム政府から特別な友好大使を委託されることになります。

平成8年の12月にはベトナム社会主義共和国が外国人贈る最高の勲章となる友誼勲章を受章することになります。
また、ベトナム人の里子を81人に及ぶことになります。

平成20年には受刑者の更生支援等の奉仕者としての功績により芸能人で初めての緑綬褒章の受賞することになります。
これは、自ら進んで社会に対して奉仕する活動に従事した徳行顕著な人に移住されるものです。
翌年の2月には、皇太子徳仁親王のベトナムでの公式訪問のときには、現地での案内説明に携わります。

そして芸能活動の功績が認められて紫綬褒章を自称することになります。
平成23年3月に発生した東日本大震災では、被災地の支援活動を行い多くの救援物資を手配するとともに自ら炊き出しを行います。
阪神淡路大震災や新潟県中越地震でも被災地に積極的に支援活動を続けて行っております。

平成25年にはASEAN特別大使に任命され翌年2月にはアジア各国との文化交流の貢献により、内閣総理大臣感謝状を手交されます。
15歳から始めたボランティア活動を今でも続けており55年間に及ぶ国内外での活動の功績があります。